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世の中のウソ


その8
マスコミのウソ(2)

例えば典型的な例をひとつ。
安倍・福田内閣の「2代続けて政権投げ出し」報道は正しいか


 安倍、福田と2代続けて政権投げ出し、ということが盛んに報道されたのは記憶に新しい。これは、前ページにおける「マスコミの手法B 敢えて表面的な視点で報道する」手法そのものなのだが、おそらく、ほとんどの人は、その報道に「そうだ、そうだ。無責任この上ない」と賛同したことだろう。だが、私はそうは思わなかった。
 そもそも安倍さんは、健康上の問題で辞任したのである。何かの不祥事をかわすために健康上の問題を無理に持ち出してきて辞めたわけではない。それは辞任会見における安倍さんの憔悴した顔を見れば、身体に何らかの問題があったことは誰の目にも明らかだったはずである。確かに辞任のタイミングとしては最悪であり、それが問題というのなら、それはそうなのかもしれない。だが、不本意ながら任期半ばで健康上の問題が生じて、一国のトップという重責を担うことはできないと辞任することは、むしろ責任ある対応といえる。逆に職務に支障が出るような健康状態であるにもかかわらず、総理の座に固執する方がよほど問題であるはずだ。もし重要な首脳会談直前に倒れて、会談をドタキャンでもしようものなら、マスコミはやはりこぞって批判したはずである。そういう事態を避けるために辞任したのだから、それを政権投げ出しと批判するのは、ちょっと違うだろう。国のトップというのは、自身の健康も含めて、常にどんな問題にも冷静・的確に判断できる万全の状態を維持しなければならないということを忘れていないか。

 以前、小沢・前民主党代表が、病気で国会を欠席したとき、一部のマスコミは、次のように批判した。「健康に不安を残す小沢一郎が総理大臣の職務を果たせるのか」と。総理大臣になる前は、健康上の問題があるから職務を果たせないといい、任期途中に健康上の問題が生じ、職務を果たせなくなって辞任すると「政権投げ出し」と批判する。これって、どう考えても笑えるだろ。つまり、どっちにころんでも批判するってわけよ。
 確かに一国のトップを担う人物は、能力だけでなく健康と体力も要求される。総理大臣というのは、実際、相当な激務なのは間違いない。でも就任時は健康であったとしても、その後、いくら健康管理していても病気になってしまったら、それは仕方ない。総理大臣だって人間であって、健康状態は自分の意志とは、ほとんど無関係なんだから。

 「政権投げ出し」というと、あたかも任期途中で職務を続ける気力が失せて、まるで駄々っ子のように「もうやって行く自信がなくなった。総理大臣やーめた!」といって、いい加減に辞任したかのように見えてしまうが、安倍さんも福田さんも、そんなレベルの話で辞任を決意したわけではない。
 福田さんが辞任した理由は、あまりよく見えないが、それでも辞めたくて辞めたわけでないはずだ。もともと自分から手を挙げて総理大臣になった方であり、さらにいえば個人的には総理大臣を続ける方がプラスであることは間違いない。ただの国会議員よりも収入がはるかに多く、さまざまな権力も手中に収められる。しかも総理大臣というのは歴史にも残ることだから、任期途中で辞任したというよりも、任期をまっとうした方が、自分の経歴上もいいに決まっている。それでも福田さんが、辞任を選択されたのは、それらの要素よりも優先すべき理由がほかにあったと考える方が自然である。それは、個人的なレベルの話ではなく、おそらく国益を優先させて判断された結果だろうと私は考えている。

 トップとして、どう責任をとるべきなのか、というのは一概にいえない。確かに先頭に立って最後まで指揮をとり続けるのも責任の取り方だが、辞めるのもひとつの責任の取り方である。どちらであるべきかというのは、ケースバイケース。辞任することが、必ずしも無責任とはいえない。
 そういう点もしっかり踏まえて辞任したことを論評するのならまだしもだが、マスコミの「2代続けて政権投げ出し」というひとことで一刀両断にされてしまうのも、お気の毒である。そんなマスコミの恣意的な手法にまんまと騙されて、同じことをいって批判している人も思慮が足らない。