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世の中のウソ


その4
ウソを生み出す間違った考え方

 
多くの人の物事に対する考え方を観察していると、その中には「ウソ」とまではいえないが、ウソを生み出す可能性がある間違った考え方も散見される。今回は、それを指摘したい。

○最も可能性が高い方を正しい答えとして選択する
 ある判断をする時、人は考えられるいくつかの答えの正しい確率を高い低いで無意識的に判断して、その中で最も可能性が高そうな答えを選択する。例えばAが最も可能性が高く、B、Cの可能性は低い。よってAを選択するという具合。これは、ほかに判断材料がない場合はやむを得ないことで、それを厳密に判断しようとしても材料がないだけに判断がいつまでも下せず先に進まない。とりあえずAを選択し、さらに状況を見て判断し直せるのなら、これも当然アリだ。ところが、本来、そのような中途半端なままに判断すべきではない場合(重大な結果を生むような場合)においても、このような最も可能性が高い方を正しい答えとして選択してしまう人がよくいるのである。一見、可能性が低く見える方が、実は正しいということが本当にないのか、あまり厳密に顧みられない。
 答えはAかBか→Aの可能性が高いのでAを選択→Aを前提にすると次にCかDか→Dの可能性が高いのでDを選択→Dを前提にすると最後にEかFか→Eの可能性が高いのでEを選択→よって結論はEである。これは正しいといえるだろうか。結論からいえば正しいとは限らない。もしかすると最初の段階で、本当はBの方が正しかったかもしれないからだ。
 現在の判断材料ではAの可能性が9割、Bの可能性は1割だったとしても、Aを根本から否定する材料がたったひとつでも新たに見つかれば、AとBは逆転するのである。つまり導き出されたEという答えは、そもそものAを選択した時点から間違っていたということになる。つまり、こういうこともあり得るという前提で、可能性が低い選択肢も、可能性が低いというだけであっさり除外してしまうのではなく、わずかでも可能性があるのであれば、保留しておく方がベターなのだ。それを安易に除外してしまったために間違った判断が生まれ、その結果「想定外の事態」とあとで言い訳しなければならなくなったりするわけだ。

○答えがデジタルとは限らないことでもデジタルで判断する
 これは驚くほど多くの人に見られる傾向。一体、何が原因か知らないが、すべての事柄について、二択もしくは三択といった具合に単純化したがる人が異常に多いということ。複雑なことを単純化すると、問題の本質がわかりやすくなることはある。だが、単純化によって本質が見えにくくなり間違った判断に陥ることもある。デジタルな要素に単純化してもいい場合とまずい場合があるのだ。その区別がついていない。答えは1か、2か。だが、ひょっとすると答えは1.5や1.75であるかもしれないことに頭が及んでいない。
 世の中の事象は、なんでもかんでもデジタル的に要素を単純化したり、一本の線で区別したりできないのである。科学を学んだ人は、大学で具体的にそのことを教えられなくても経験的に理解できるだろうが、これは科学の分野に限ったことではない。
 例えばアメリカ映画は正義と悪という、わかりやすい構図であることが多いが、現実の世界はそんなに単純ではない。宮崎駿氏のアニメは、例えば『風の谷のナウシカ』や『もののけ姫』のように正義と悪の設定が曖昧だが、正義と悪というのは、現実にはそんなに簡単にシロクロをつけられないことを氏は言いたいのではないか。
 これと同様に背景にある複雑なものをきちんと把握しないで、いくつかの要素に勝手に単純化してしまうのは問題のある考え方としかいえない。

○答えを選ぶときに、ほかの答えと対比しない
 選択肢としてAとBがある。Aにはこういう問題点があるので反対。ゆえにBを選択という場合。だが、こういう反対意見をのべる人の中には、Aの長所短所とBの長所短所を比較検討しないで、「Aの問題点に気づいた」というだけでAに反対する人がいる。 AとBを比較して、Aの短所・Bの長所よりも、はるかにAの長所の方が重要であればAを選ぶしかないが、そのような対比をきちんとしていない人も実は多いのだ。だから何か新しいことをするとき、必ず反対意見が出てくる。もちろん的を得た反対意見もあるが、選択肢の対比をしていないがゆえのお粗末なものも実は意外に多いのである。

○根拠が必要なことに根拠を提示できない
 判断するにはふたつの方法がある。つまり直感による方法と論理による方法である。世の中には複雑すぎて判断材料をすべて揃えられないことも多い。中途半端な判断材料しかなければ、それを元に論理で判断しても、正しい答えを導き出せない。そんな時は、論理よりもむしろ直感で判断する方がいいこともあろう。つまり時には論理よりも直感の方が正しいこともある。だが直感で判断していいことと論理で判断しなければならないことは、きちんと区別しなければならない。いくら直感勝負といったって、例えば科学に関わる問題のように論理で判断しなければならないことには論理でしか判断できないのである。根拠が必要なことに印象(直感)だけで判断するのはナンセンスも甚だしい。自分の主張を聲高に叫んでいても「その根拠は?」と尋ねると途端に黙っちゃうような人って、結構いるんだよね。そういうタイプの人というのは、論理と直感の判断の区別が曖昧なばかりか、普段から頭に浮かんだ印象だけで、物事を判断しているのだろう。