Nature
世の中のウソ


その2
法律さえ守っていればあとは何をしてもいいというウソ


 
ライブドアがニッポン放送を買収する時、ホリエモンがそんなことをいっていたのは記憶に新しい。結局、ホリエモンは、その法律さえも守っていなかったわけだが、そんな理屈をこねる人というのは世の中に意外と多い。では法律さえ守っていればあとは何をしてもいいのだろうか。結論からいえば、それはウソである。社会人して守らなければならないのはルールだけではない。同じようにマナーやモラルも守らなければならない。法律さえ守っていればあとは何をしてもいい、という主張をしている人は共通してマナーやモラルという視点が欠落している。
 そもそも社会をまとめるために法律というしくみができたわけだが、法律でしばるほどではないものの、やはり社会をまとめるために必要な要素としてマナーやモラルという考え方が生まれてきたと思う。
 法律では決まっていないのだから駅の券売機前に並ぶ列に割り込んでもいいのだろうか。人から挨拶されても挨拶し返さなければならないという法律はないのだから無視を決め込んでもいいのだろうか。そんなことをし続けても、やがては誰も相手にしなくなるだけのことだ。ルールだけ守ればいいというのなら、なぜルールとマナーを分離したのか、その理由が何であるか説明してもらいたいものである。私たちの社会では、ルールもマナーも守らなくてはならない。これは全世界、どこの国でも共通する認識である。

 以前、ある愛犬家が、犬をリードにつながなくてはならないという法律はないのだから私は公園を散歩するときもリードはつけない、と自らのホームページで宣言しているのを見たことがある。そして、ご立派なことにそれをずっと実行しているらしいのである。最初のうちは公園管理者から注意を受けたらしいが、それも無視して続けているので、最近は注意もされなくなったと自慢げに書いていた。
 私にいわせれば実にマヌケな主張である。先にもいったように私たちの社会ではルールとマナーを守らなくてはならない。法律がどうかは知らないが(※)、犬をリードにつなぐのは少なくともマナーには該当することだ。だから仮に法律で決まっていなくてもマナーという観点から犬はリードにつながなくてはならない。そういうルールとマナーどちらも守るへきこととして認識できる人を社会人というのであり、それがあたかも存在しないが如く「法律さえ守っていればあとは自分の都合に合わせて何をしてもいい」というのは社会人として未成熟というほかない。
 これを書いていた人物は年配者のようだったが、ほかに書いていた主張も、これと同様に間の抜けたものが多かった。こんな人物を注意しなくてはならない公園管理者にも同情するが、この程度のお粗末な主張、私なら5分で論破するけどね。ま、私の主張を理解できればの話だが。このようなろくでもないペット愛好家の問題に関しては、もっとさらに書きたいことがあるので、別の機会にでも触れたいと思う。

(※追記)
この記事を書いた段階では私も知らなかったのだが、基本的に犬の放し飼いは各都道府県の条例で禁止されており、この愛犬家が条例違反に該当するのは間違いない。つまり、マナー違反どころか、条例さえも守っていないことになる。


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