Nature


名前
 日野 東

名前の由来 広島県北東部にある比婆山連峰の一峰・吾妻山から命名されたらしい。山好きだった両親が初めて登った山が吾妻山で、その美しさから子供が産まれたら男なら「東」、女なら「あづま」にしようと決めていたそうだ。ちなみに吾妻山の名前の由来は、日本神話の主役のひとり伊邪那岐の命が比婆山に葬られた妻の伊邪那美の命を偲んで「あぁ、わが妻よ」と呼んだことに由来するらしい。実は吾妻山というのは各地にあって、日本武尊が妻を偲んで呼んだとか似たような伝説が残っている。だが、昔はみんながみんな山の頂に立って妻を偲んだとも思えない。ただ比婆山には伊邪那美の命の墓とされる御陵があるから、この伝説もそれなりにリアリティーがあるのだが、それでも後世にこじつけた可能性の方が高いんじゃないだろうか。
 ところで私の名前は珍しい名前と思われがちだが、実はたまに同名の人がいる。私が偶然知っただけでも、かつて1部上場企業の社長、大学教授、テレビ局のスタッフ(番組最後のテロップで何度も見かけた)など、いろいろ見た記憶がある。ただ読み方は「あずま」のほかに「あきら」と読む場合もあるようだ。また今年(2007年)の春には同姓同名の人が事故で亡くなったニュースを見て、びっくりした。同名の人はいてもまさか同姓同名はいないだろう、世の中にこの名前は私だけだろうと思っていたのが、意外な形で覆された。その人は私よりも年配だったから向こうの方が命名は先。自分と同じ名前がニュースで流れるのも不思議な感覚だったが、同姓同名の人がいたというのもショックだった。ひょっとしてまだいるかな。

身長 172センチ。計る機会がないから、よく知らないが、たぶんこれくらい。

体重 80〜90キロの間を1年のうちに増減させる特技(?)あり。冬場はデスクワークが忙しくて運動もせず食べるばかりだから、まるで冬眠前のクマのように体重が増え、春になり取材で山を歩くようになると次第に体脂肪が燃焼されて冬眠直後のクマのように体重が減るというわけ。つまり結果的に増減が毎年繰り返されるのだ。健康のために年間を通して、せめて70キロ代後半をキープしたいが、う〜むこれは難題だ。日本国の借金を全部返すよりも難しいぞ。たぶん。

血液型 A型。

出身地 広島県広島市。生まれたのは広島県佐伯郡。母方の家系は広島だが、父方は愛媛。だが父方の本家によると七代前に京都から移ってきたという。

住んだことのある街 @広島県佐伯郡五日市町、A広島県広島市東区、B東京都世田谷区世田谷、C東京都世田谷区豪徳寺、Dブラジル・サンパウロ市、E東京都世田谷区赤堤、F兵庫県神戸市灘区、G神奈川県横浜市磯子区、そして現在のH神奈川県秦野市。今のところ以上。
 @は生誕の地。1才まで。Aは1才から大学に入学するまで。現在も実家がある。BCEは大学生〜社会人。世田谷に引っ越したのは大学があったからだが、横浜に移るまで計13年間も暮らした。D父は仕事で何度もブラジルに長期赴任していたので大学の時の夏休みを利用して2週間ブラジルへ。その間、アマゾンなど、いろいろ観光でまわったが、うち数日間だけ両親が借りていたブラジル・サンパウロ郊外の町にあるマンションで暮らした。Fは仕事で2ケ月間だけ滞在。Gはフリーになってから約2年半、中国に赴任していた親戚宅を借りて暮らしていた。
 こうして広島、世田谷、横浜、秦野と住み比べると夏の暑さは人口密度に比例する気がする。つまり世田谷>横浜>広島・秦野っていうわけ。さすがにコンクリートが多い世田谷はヒートアイランド現象で非常に蒸し暑かったように思う。横浜に転居して涼しいのにちょっと驚いたくらいだ。そして、秦野に移ってさらに涼しさを実感。やはり緑が多いと気化熱を奪うから涼しくなるというわけだろう。広島市中心部では世田谷と大差ないだろうが、実家は広島市郊外にあり、しかも少し高い場所にあるので、夏の昼間でも涼しい風が吹いてくることが多い。

趣味1 登山・ハイキング、写真。つまり趣味と実益を兼ねているわけだが、「趣味でメシが喰えていいねぇ」と思ったら大間違い。平日に人の少ない山に行けていいわ、と思えたのは最初のうちだけ。今はどこに行っても「仕事」という頭しかないし、新鮮みはほとんど感じなくなってしまった。今は、仕事を忘れて、気ままにのんびり山を歩きたい。
 ところで私は3〜4才にして乗鞍と中央アルプス*に登って以来の登山歴がある。ただ小〜高校生の途中には空白期間もあるので、頻繁に行くようになった大学生以降だけカウントしても、それでもすでに20余年。その間、合計どれほど歩いたのだろうか。

*中央アルプスといってもロープウェイで往復したわけではない。行きはロープウェイだが、帰路は上松に向けて歩いて下っているから立派な登山だ。両親によるとほとんど「おんぶ」も要求せずにチョコレートだけ入れてもらった小さなリュックを背負って不満もいわず自分で歩いたそうだ。4才にして何と我慢強いいい子なのだろう(笑)。しかし、当時の両親に今の私の仕事を教えたら、さぞかし驚くだろうな。

趣味2 スキー。スキーは1才にして履かされて滑ったのが最初。つまり登山と同様、年齢とほぼ同じスキー歴をもつ。でも、それほどの熟達者というわけではない。さすがにボーゲンは卒業しているけど、残念ながら平均的な滑り程度だ。ただ最近はほとんど行かなくなった。以前のスキーブームも一段落して、近年は有名なスキー場でもリフト待ちなしで乗れるそうなので、ガラガラのスキー場で思う存分滑りたいところだが。

趣味3 本。本は読むだけじゃなくて、ただ買うのも好き。仕事の資料用にアマゾンなどで年間相当数の本を購入しているが、それでも自宅近くの本屋にも結構足を運ぶし、地方に行ったら必ず本屋に立ち寄る。いくらインターネットでただ情報が得られるとはいえ、やはり「そそる本」に出会ったら買わずにおれない。こうして本がどんどん増えて、まさに「積ん読」状態なのだが、本の山の中にいると不思議と落ち着く。これって病気かな〜。いづれにしても出版業界には相当貢献しているぞ。

最近行ってみたくなった場所 それは離島。今年の夏、仕事で屋久島に行って以来、頭の中は離島モードに。9月に隠岐に出かけたのもそんな理由からだ。今後は時間を見つけてはいろいろと足を運んでみたい。ところで日本のあらゆる島々を網羅したガイドブック「SHIMADAS」には、計1100島が掲載されている。もちろんこれを全部制覇するのは不可能だし、やろうとも思わないが、見れば見るほどおもしろそうな島がある。しばらく「SHIMADAS」が手放せなくなりそう。

これが「SHIMADAS」。(財)日本離島センターというところが発行している。定価3000円+税。1327ページ。厚さ4.5センチもある。

好きなフィールド 全国いろいろ行くと、それぞれにいいところばかりで、絞りきれないが、それでも敢えて選ぶとしたら…
1信越高原一帯(長野・新潟県)
2尾瀬・南会津一帯(福島・新潟・群馬県)
3比婆山連峰一帯(広島県)

好きな作家 最近はまったく小説などの類を読まなくなったので、正確には過去に好きだった作家ということになるが、高校〜大学生のころは、眉村 卓、星 新一、新田次郎、横溝正史などをよく読んでいた。特に眉村 卓の文庫本は、たぶん全部読んだと思う。また新田次郎の作品を読んで山への思いが強くなった。

好きなアーティスト・曲 もはや古い部類になりつつあるが、プリプリは好き。といってもNHKで昔やっていた人形劇「プリンセス・プリンプリン」と間違えないように。ほかいろいろ。またNHKの番組テーマ音楽も好きな曲が多い。「NHKスペシャル・映像の世紀」の「パリは燃えているか」とか、ほか「地球に乾杯」や「日本人はるかな旅」のテーマ曲なども。

好きな作曲家 宮崎駿監督の映画のテーマ曲やCM曲などを手がけていることで有名な久石譲氏。特に「風の谷のナウシカ」や「天空の城ラピュタ」、「漂流教室」の曲は秀逸。有名なクラシック音楽よりもよほど心の琴線に触れる。すごい才能の持ち主だと思う。

好きな言葉 座右の銘というほどのものはない。ただ人生は「どんな長い夜でも必ず朝が来る」と前向きに生きるのが好き。あるいは「どんな長い冬でも必ず春が来る」と言い換えてもいい。つまりは、辛く苦しいことがあっても、それが永遠に続くわけはないのだから希望を持とう、という意味。終わったことをいくら考えても何も変わらない。むしろ未来のことを考える方がよほど意味がある。終わりよければすべてよし。それに順風満帆なお気楽な人生なんて世の中に存在しない。みんな大変なんだよ。

最近ほしいもの 高橋製作所の天体望遠鏡。中学生の時に熱中した天体写真に再トライしたくなってきたためだ。天体望遠鏡といえば国内外にいろいろメーカーがある(怪しいメーカーもチラホラあった1970、80年代に比べればかなり減ったみたいだけどね)が、高橋製作所と聞いて「そりゃそうだ」と同意してくれる天文ファンは多いだろう。私も中学生の時は、ここのポータブル赤道儀H−40をもっていたが、その造りがしっかりしているのに感心したものだ。当時は、ほかに別のメーカーの10センチ反射望遠鏡なども所有していたが、今、買うとしたら、やはり高橋の望遠鏡がほしい。だが、いい望遠鏡だけにお値段もそれなりにする。私がほしいのは70万円前後する望遠鏡だが、一番いいなと思ったのは200万円。さすがに無理。新車が買えるわ。しかし70万円の天体望遠鏡を買ったとしても、多量の本にスペースをとられている現状では置くところがない。実家に置かせてほしいと母に頼んだら「邪魔になる」と冷たく断られたし。従って、当分買えそうにない。いや待てよ。よく考えてみれば、それ以前の問題として、そもそもお金がなかったわ…ガーン(泣)

いつか登頂したい山 実現する可能性は低いが、一度登頂してみたい山。それは北海道・日高山脈の一峰、カムイエクウチカウシ山。健脚向きの山が多い日高の山にあっても特に上級者向きの山である上に、1970年に福岡大学の山岳部員3名がヒグマに襲われ犠牲となる事故があった山でもある。何とかヒグマから興味を持たれないようにそっと山頂に立ち、この山のどこかに咲いていると思われる幻の花、カムイビランジを目にしたい。しかし、こればかりは実現する可能性は低そう。

人生で最も長い旅行 6年間勤務した出版社を退社し、半年間プータローをしていたが、その間、35泊36日の北海道旅行をしたのが最長。この時も今と同じ車中泊+立ち寄り湯+コンビニというスタイルで通したので、いろいろ現地で買ったものも多かったがそれでも総額50万円ちょっとですんだ。今にして思えば、この北海道旅行が現在の仕事の道すじをつけるきっかけになったように思う。旅というのは、時に人生を変えることもあるのだ。
 考えてみれば、私は子供のころから「エルマーのぼうけん」(児童向けの冒険物語)にワクワクし、ムーミンを見てはスナフキンが格好いいと思うようなガキだった。そして実際、友達とよく「冒険」に出かけて、親を心配させた。でも冒険の目的地は、「安芸大橋」(近所に架かる橋)だったりしたのが、ちょっと笑っちゃうのだけど。子供のころから、そんな嗜好だったから今の仕事も全然不思議じゃない。つまり、大人になった現在も気分はエルマーなのだ。
 なお、フリーになってから仕事では2002年の夏、約3週間にわたって東北地方を取材したのが最も長い。あと1〜2週間程度の取材はざら。

私が注目する企業経営者 セブン&ワイ・ホールディングスの鈴木敏文会長。著書を買って読むほどではないが、さすがコンビニの先見性を見抜いて日本に導入した人物だけのことはあって、新聞のインタビュー記事などを読むと鋭いことを言われている。間違ってもホリエモンや楽天の三木谷社長は挙げない。二十年後も同じように注目を浴びていれば、気が変わるかも知れないが。現在、華々しく注目を浴びる彼らを無条件に絶賛する人たちというのは、明治維新後に何でもかんでも欧米の文化に感化されて日本の文化はもう古いと否定するようなタイプの人たち、あるいはインターネットが普及した時にネットこそすべてと勘違いするようなタイプの人たちと同じものを感じる。それはまわりに影響されるばかりで冷静に中身を見抜いていないという点で共通している。

私が注目する世界の政治家 主に3人いる。元北朝鮮最高人民会議議長の黄長Y(ファン・ジャンヨブ)氏。旧ソ連大統領のミハエル・ゴルバチョフ氏。そして日本国総理大臣の小泉純一郎氏。世界の長い歴史にあっても黄長Y氏のように「国民のため」究極の選択を決断した政治家はそうはいないだろう。北朝鮮という国はまったく不思議な国だが、実は黄氏のような尊敬に値する政治家もいるのだ。日本のバカ議員の中には自分のことを「先生」と呼ばなかったといって怒る人もいるそうだが、私が政治家の中で心底「先生」と尊称で呼びたいのは、この人くらいだ。同じ「先生」でも人間としての中身に天地ほどの違いがある。
 ゴルバチョフ氏はいうまでもなくソ連の改革を進め、東西冷戦終結のきっかけを作った人物。歴代書記長と同じ道を選ばなかったのは、それだけこの人に卓越したものがあったからだろう。もしゴルバチョフ氏がソ連の大統領にならなかったら、いまだに冷戦構造が続いていたかも知れないことを思うと、氏の存在は極めて大きいといわざるを得ない。さて最後にわが国の小泉さんだが、言ったことを実行してきた実行力とその決断力は相当なものだと私は思う。靖国問題などいろいろと批判する人がいるのも承知しているが、有言実行している小泉さんを評価しない方がどうかしている。それに私は、小泉さんは人間としてもまっとうな人格の持ち主だと感じている。以前、鹿児島県の特攻隊資料館を訪れ、若き特攻隊員の遺書を読んだ小泉さんは、「特攻隊員の死の覚悟を思えば、どんなことでもできる」と語ったという。もちろん、その胸中には「改革」の2文字があったことは想像に難くない。そんな言葉は、自己の利益を第一に考える官僚や政治家からは決して聞くことはできないだろう。まっとうな精神の持ち主にしか言えない言葉である。ゆえに私は小泉さんを一政治家としてだけでなくひとりの人間としても注目している。

私の最古の記憶 1才前後の頃、お風呂場でお湯を入れた「たらい」を浴槽代わりに入浴した時の記憶。心地よいお湯の感触に自分はすごくゴキゲン。季節や時間の記憶はまったくないだが、今にして思えば夏の午後のような日差しが、お風呂場から見えたような気がする。実はこの時の写真が古いアルバムに今も残っている。たらいで入浴する上機嫌の私を父がカメラで撮影していたのだ。だが私の記憶には、なぜかお湯の中にちょうど「とき卵」のような白いもの(何であるか不明)が浮いていた記憶もあるのだが、その写真を見ると無色透明の至って普通のお湯で、白いゴミのようなものは浮いていない。つまり、この記憶と現実の写真との食い違いは、おそらくもう少し大きくなった時にこの写真をベースにした夢を見て、その夢の方が記憶として残ったことによるものと考えるのが自然な気がする。確かに1才の記憶なんて、ちょっと怪しい。ただ、私には1〜2才前後の記憶らしき記憶がほかにもある。これと同様、本当の記憶かどうか定かではないが。ところで作家の三島由紀夫は確か赤ん坊の時の記憶があるということを何かに書いていたように思うが、人それぞれ必ず最古の記憶があるはずだ。どこまで遡れるか記憶をたどってみるのもおもしろいかも。

もし願い事をひとつ叶えられるのなら 昔話にありがちなシチュエーション。もし女神とか鬼とかが現れて何か願い事をひとつ叶えてやろう、といわれたら。世の中の多くの人は豪邸だとか、高級外車がほしいとかいうだろうけど、私なら間違いなく「どんな願い事でも叶えられる、あなたと同じ能力がほしい」というね。

もしタイムマシンがあったら 過去編 タイムマシンがあったら、何をしたいか。タイムマシンがあれば簡単に高収入が得られるのは間違いないが、そんなことではなくて、行ってみたい時代、見てみたいもの、会ってみたい人となると…。

行ってみたい時代…明治〜昭和初期の日本。縄文時代〜古代の日本。地中海文明。インカ文明。中世ヨーロッパ。
見てみたいもの…ニホンオオカミ、ニホンカワウソ、モア、恐竜、翼竜、三葉虫の実物。創建当時の出雲大社。歴史上謎とされている事件などの真実。建設中のピラミッド。ムー大陸など伝説の大陸があったかどうか。聖書などに残る大洪水伝説が本当にあったかどうか。レバノン・バールベックの石切場跡にきれいに成形されて放置されている巨大な石柱(推定重量2000トンといわれ、現在の技術でも運搬不可能といわれている)が切り出されているところ。恐竜が絶滅した時代に行き何があったか見る(ただし自分は安全な場所で)、南九州や屋久島などに壊滅的な被害を与えた6300年前の鬼界カルデラ大噴火(ただし自分は安全な場所で)、ツングース大爆発(ただし自分は安全な場所で)、まだ登山道も何もなかった頃の原始の北アルプスなどの名山、尾瀬ヶ原、上高地、戦場ヶ原など。農業用溜め池として作られた長野県茅野市の白樺湖がまだ池ノ平湿原と呼ばれていたころ。
会ってみたい人…日本武尊や大国主命、聖徳太子などの神代〜古代の有名人(実在していたら)。松浦武四郎(江戸時代の蝦夷地探検家)、鳥居龍造(明治〜昭和期の人類学者)、田中久重(江戸時代の発明家)、武田久吉(明治〜大正期の植物学者)、イザベラ・バード(明治期の日本を旅したイギリス人女性旅行家)、虫愛ずる姫君(「堤中納言物語」に登場するおしゃれには興味がなく虫が好きなお姫様)。
やってみたいこと…縄文人に会って今の日本語がどの程度通じるか試す。ノストラダムスに会って「あんた本当に予言として詩を書いたの?」と聞く。ストーン・ヘンジなどイギリスやフランスに残る巨石遺構を作った人に製作意図を聞く。ピラミッドやスフィンクスの製作者に製作意図を聞く。ほか謎とされている遺跡についても同じく。

酒・タバコ 酒は実家に帰った時に晩酌でビール、ワイン、日本酒を軽く飲む程度。お酒の席では普通につきあえるが、家にいる時に飲むことはほとんどない。飲むとしてもビール。
 一方、タバコはまったく吸わない。30代の頃、車の長距離運転時に眠気覚ましにごくごく少量を吸っていた時期が1年くらいあったが、その頃でさえ、使用目的が限定されているから1箱買っても1ヶ月たってもなくならず味も悪くなって捨てたりしていた。今はまったく吸わない。タバコの害は明白で、肺ガンなどの病気に罹るリスクや火災の原因となるリスクをとってまでして吸うメリットは何もないし、まわりにも迷惑なだけ。「家族を大切にするヘビースモーカー」というのは完全に矛盾していると私は思っている。仮に家族の前では吸わなかったとしても、将来自分がタバコが原因の病気になる可能性も充分にあるわけで、そうなると家族に余計な心労をかけさせるのは明白だ。本当に家族思いなのであれば家族のために禁煙するのがスジだろう。
 以前、経済評論家の森永卓郎がテレビで、愛煙家がたくさん税金を納めていると喫煙のプラン面についてしゃべっていたが、タバコが原因の病気による医療費は健康保険を圧迫させるだけだし、タバコが原因の火災などの経済損失を考えれば、どちらがいいのかね。それになにより金の問題だけじゃないだろう。

もしタイムマシンがあったら 未来編 タイムマシンがあったら過去だけじゃなくて未来にも行ってみたいが、ちょっと怖いのも事実。過去はある程度予測がつくが、未来は予測がつかないだけに怖い。数年後くらいの近未来ならまだしも、100年後、1000年後となると、見に行くのは勇気がいるだろう。その頃の日本や世界はどうなっているだろうか。温暖化問題を克服して今以上に平和な社会となっていることを願うが、その結果が、自分に関係しないのは確実だから、まあ考えても仕方ないんだけど。でも輪廻転生というのが、もしあるとしたら無関係とはいえないか(笑)。
 昔、サヴァン症候群の人を取り上げたテレビを見たことがある。それは、まるで写真で撮影するようにひと目見た風景を記憶して絵に描くことができるといった特定の分野だけに驚異的な能力を発揮する自閉症のこと。確か同じサヴァン症候群だったと思うが、カレンダー計算も簡単にやってしまうというのが紹介されていた。例えば西暦3007年3月25日は何曜日かと質問すると正しい答えを即答するのだ。1000年後、2000年後も今と同じ太陽暦を七曜で分けているかどうかわからないし、社会システムが変わっている可能性は高いわけだが、遠い未来の曜日を想像すると、SFの世界じゃなくてなんとなく現実味を帯びてきて、いろんな疑問も浮かんでくる。その頃もやっぱり土・日曜日は休日なんだろうかとかね。もしかすると休日という概念がなくなっていたりして。

私の人生観 たかだか40年ちょっと生きてきたくらいで立派なことは何もいえないが、まあ平凡でも健康で充実していればそれでいいやと思う。健康がなりより。私は基本的にあまりお金に対して執着はない。お金はないよりもあった方がいいが、それがすべてではないと思う。それよりもはるかに健康の方が重要だ。成長期に貧乏を経験した人は、お金に対する執着が強いような気がするが、私の場合は特別裕福じゃないけど健全な両親のもとに育てられ、お金に困ったことがほとんどないからかもしれない。
 一方、仕事についてはいろいろ思うことがある。フリーという立場になってから自分なりに努力して今の立場を築いてきたが、このままでいいのか時々思うことはある。フリーとしてはいい方だと思うし、今のところ安定し、またやりがいもあるのだが。まあ100パーセント満足のいく仕事なんてないよな。

私の運命観 私の場合、人生の分岐点にさしかかると一応は理屈で考えるが、最後はインスピレーションで右か左か決める。「内なる声」とでもいおうか、フッと頭に浮かんだキーワードで決めることも多い。だがどうも結果的にはそれがいい方向につながったことが多いような気がする。進路を決めたときもそうだったし、フリーになる決心をしたときもそうだった。
 私は漠然と運命というのは人それぞれある程度決まった線路のようなものがある気がしている。他力本願、自己責任放棄ということではなく、自分で努力して運命を切り開くのも、やる気が失せて何もしないのも含めて実は運命で決められているということ。別に根拠なんかないんだけど、高校生の頃、はっきりした将来の目標もなく不安を抱いていたある日、ふと唐突に頭の中に「将来、写真で食えるようになる」という思いが浮かんだ。これは今でもとても不思議に思っているのだが、そのころから確かに写真を趣味にしていたものの、それで食おうとは微塵も思ったことはなく、すでに理系コースを選択し研究職か技術職に就きたいと思っていただけに自分でもどうしてそんなことが頭に浮かんだのかわからない。だから「まさかなあ、そんなこと絶対にねぇよな」と即座に否定したのを覚えている。その後、33才の時にフリーになった。フリーになった当時はエディター・ライター的要素の方が強かったのだが、次第に写真がらみの仕事が増えていった。そんなある日、ふと高校生の時に頭に浮かんだことを思い出して、まさにそれが現実になっていることに気づいた。今では、ライターとして記事も書くが、ほぼ100パーセント写真がらみの仕事だ。
 また私は自分の人生に何らかのいい影響を与えてくれるような人(例えば、のちに大きな仕事を出してくれることになる仕事関係の人も含めて)に最初に会ったときに、なんとなくそれがわかることが多い。2度と会うことがなかった人にインスピレーションが働いたためしはない。
 もうひとつ。私の運命観を語る上で忘れてはならないのが、受験生の時に鑑定してもらった占いの結果。もともと私はあまり占いは信じない方だが、実際に見事に当たっていたので、信じざるを得ない。理屈では説明できないが、何かがあるとしか思えない。

 それは次のようなことだった。母が友人から、お寺の住職が趣味で占いをされており、よく当たるらしいので見てもらおうと誘われた。母も私と同じく占いを信じる方ではないのだが、私の受験の結果を心配したのだろう。ある時、その友人と一緒に見てもらいに行った。その人は「占いとは統計学」と断言し、趣味でやっているだけだからと鑑定料も低額で、鑑定する人物の名前と生年月日だけで占うというものだった。その時、私は国立大学合格を目指していたので、母はそれだけ聞いたという。すると「国立大学は合格されます」といわれ、さらに将来のことを3ついわれた。しかし共通一次試験は思うように点が取れず、その時は占いは外れたとがっかり。国立大学は一校しか絞れないから、二次試験は当初の目標校から少しレベルを下げて広島近県の国立大学農学部を受験。二次試験の出来もあまり自信がなく、ダメだろうと思っていたのだが、フタを開けてみれば何と合格だった。結局、悩みに悩んだ末にその国立大学は行かずに、今となっては母校となった東農大に入学したのだが、占いは確かに当たっていた。
 残り3つの内容だが、ひとつは仕事に関わるもので、「将来、自分で商売を始める」というものだった。最初聞いた頃は、先にもいったように研究職か技術職と思っていたので、自分で技術系の会社でも興すのかなと思ったのだが、実際はフリーになったわけだから、これも当たっているし、偶然にしてはできすぎている。次は結婚に関するもの。晩婚で、相手はある程度年齢差のある人。東西で分ければ広島より西の人(たぶん、その時点で)といわれた。
 結婚について、あまりいわなかった母も、さすがに最近は心配するようになったけど、そりゃ当たり前だろうな。でも運命にジタバタしても始まらない。運命は動くときは動く。動かないときは動かないものだ。それに結婚ほど運命的要素の強い物はないだろう。友達を作るのとは訳が違う。相手としては、仮に10年くらい何らかの事情で会うことができなかったとしても、それでもずっと思い続けてくれるような一途でまじめな人がいい。それくらいの人なら「強い絆」で結ばれた「特別なもの」を感じざるを得ないからね。だが、こればかりは相手次第だから何ともいえない。さて最後のひとつは、さらに将来のこと。別に悪いことじゃないからここで話してもいいんだけど、その時まで自分の心の中に秘めておきたい。
 占いについては、よく最もありがちなことをいうから当たっているように見えるだけという反論もある。例えば鑑定にやってきた人に「あなたは何か悩みがありますね」というが、悩みがあるから来ているのだから当たるのは当たり前というわけ。だが、私の場合はそれだけでは説明できない。国立大学の合否が当たる確率は大学の難易度や私自身の偏差値も関わってくるから必ずしも半々で50パーセントとはいえないが、仕事の方は無数にあるし、今でこそ起業する人は珍しくないが、当時それをいうのは何かが背景にないといえないだろう。だからといって占いはすべて信じるわけではないし、また再度占ってもらったり、雑誌の占いコーナーを見ることもない。しかし、受験生の時に占ってもらったこのことだけは、何かがあると思っている。根拠はないから(これから起こることを予想する占いに根拠などあろうはずもない)、あくまで印象なんだけど。

私の登山原点 私が海よりも山志向なのは、何より両親の影響が一番大きい。両親は、山仲間と南アルプスを幕営縦走するようなバリバリの山ヤだったから、小さいうちから何度も山に連れて行かれた。だから結果的に私が山好きな人間になるのは、当たり前なのかもしれない。このページでも以前書いたけど、私が小学校に上がる頃には我が家のレジャーは登山よりもドライブの方が増えて、大学に入るまでの間はそんなに山には登っていない。だが高校の時に新田次郎の山岳小説を読んで山への憧憬が強くなり、大学で山好きな友人を得ると、一気にその思いが爆発。最初は大山(「だいせん」じゃなくて丹沢の「おおやま」)へのハイキングだったが、次第に山行数も増えて、内容もエスカレートしていく。

 
左写真は、若かりし母におんぶされ、山を満喫中(たぶん)の私。どこの山かは不明だが、実家の裏山かもしれない。それにしてもおんぶまでして山に子供を連れて行くくらいだから、両親の山好きの程がわかろうものだ。当然、私が歩けるようになると、早速、中央アルプスへ(右)。

 
乗鞍岳でクロユリとともに(左)。今だったら「クロユリの自生地に子供を座らせて記念写真とは何事か」って非難囂々だろうけど、昔は立入禁止区域もなければ幕営指定地なんてのもなかった。右写真は、私の人生で最初の山岳写真。いや正確にいうと山岳スナップ写真かな。いずれにしても初めて山でシャッターを切った記念すべき一枚。中央アルプスで両親を激写したものだが、それにしても人物を左に配置し、右側には山を入れるという素晴らしい構図(笑。偶然だろ)。この頃は、モノクロ写真が一般的で、カラー写真といえばリバーサルフィルムしかなかったので、以上4点の原版はいずれもリバーサルフィルム。画像が比較的きれいなのは、今回、パソコンで退色補正をし、細かなホコリやカビの跡を修正したため。

個人的プロフィール