世の中には真理を最優先させて
物事を判断しない人が実は結構いる






  もしかすると今、このページを読んでいるあなたは、これまでのさまざまな判断において自分自身のことよりも真理を最優先させて物事を判断してきたマジメな方かもしれません。そんな方であれば、「他の人も同じ基準で判断しているはずだ」と思い込んでいるかもしれません。

 例えば、次のようなことって、これまでにありませんでしたか? 自分が正しいと考えた答えがあって、ほかの人も同じだろうと想像していたら別の意見をいわれて驚いた。それを考え方や価値観の違いからくる意見相違だろうと自分なりに好意的に解釈した…みたいなことって。でも、その人は本当にあなたと同じように真理を最優先させて判断した結果だったのでしょうか。

 残念ながら「すべての人が真理を最優先させて判断をしている」なんて幻想に過ぎません。そんな考えをお持ちなら今、すぐに捨てましょう。基本的にみんな、表向きは立派なことをいいますが、誰でも突き詰めれば結局は自分こそが一番大事なんですよ。聖人君子のような人は、たぶん皆無でしょう。

 ただ、真理と自分の間のどこに基準を置いているか、それは人によって、あるいは同一人物でも状況によって違ってくると考えられます。その基準が真理寄りに位置してる人もいれば、自分寄りに位置してる人だっています。後者に該当する人が、その事実を自ら認めるはずもなく、どちら側に判断の基準が寄っているか、表向きはなかなかわからないものです。わからないからこそ、よく見極めなきゃいけないわけです。

 本音では他人の意見の方が正しいと感じても、それを認めたら自分のプライドやメンツが傷つく、自分の立場や都合が悪くなる、あるいは自分の収入が減る…等の理由から、それを絶対に認めたくない、人間としての器がちっこい人って世の中には結構いるんですよ。また、例えばイデオロギーのような根本的な観念や信条に関することになると、自分が正しいと信じたい「思想の原理原則」を「真理」よりも上位に置いている人も、やっぱり結構いらっしゃいます。

 そもそも人間は、自分の考えは基本的に正しいと思い込まないと生きられない哀れな生き物です(笑)。他人の考えはすべて間違いで、自分の考えこそ正しいという冷静に考えれば絶対にあり得ないことがあり得るように思い込んでしまう、とってもオメデタイ生き物です。現実は、自分の考えが正しいこともあれば間違ってることもあるんですが、客観的な視点から自分自身を適正に評価できる人ってなかなかいないものです。

 おそらく自己中心的な判断傾向が顕著な人は、過去の成功体験に引っ張られて「自分の頭に浮かんだ思いや考えは、きっと正しい」という人生の大前提を勝手に作ってしまっているのでしょう。でも自分の頭に浮かんでくることのうちの何割かは、正しいからではなく、無意識のうちに脳が自分にとって都合がいいことを優先的に選択しているだけ…というお粗末な結果であることも実は割とあるんです(このことを心理学では、「認知バイアス」といいます)。彼らはそれを客観的に認識できないことの方が圧倒的に多いので(つまり彼らに悪意はない可能性もあるわけですが)、そんな脳の性質がある以上、理を選択できない可能性が常に存在することにも気づくべきでしょうね。

 自分の間違いを素直に認められる人、自分が知らないことを知ったかぶりせずに「知らない」と堂々といえる人、あるいは仮に自分の意見と完全に敵対する他人の意見でも、正しい部分については「それは正しい」ときちんと言葉にできる人は、真理を最優先させる価値観をお持ちかもしれないと感じることが可能なわけですが、逆にそういう傾向が皆無の人は要注意です。よく見極めれば、そんな観点から割と簡単に正体がバレちゃうものなんですけどね(笑)。

 もうひとついえるのは、外見や肩書きなどに影響された勝手な先入観をもとにして「なんとなく立派な人に見えるから、きっとその意見も信用できる」みたいに決めつけないことです(その逆も含めて)。タダのイメージは極力排除し、事実だけを元にして、あくまで論理的に判断する習慣をつけておくことです。真理に迫るには、「論理」という手法を用いる以外に道はありません。この前提で人と接していると、悪意があるウソに騙されることも少ないだろうと、私なんかは考えています。



 




TOP    目次










Nature
世の中のホント