| 中道改革連合と日本リベラルのゆく末/2026年2月25日 少し前にダイヤモンドオンラインに掲載された以下の記事。 そりゃボロ負けするわ…中道改革連合が若者にソッポを向かれた納得の理由 なぜ中道改革連合は、今回の衆院選で惨憺たる結果に終わったかについて千代田区議が執筆された記事だが、選挙後に目を通した記事の中で最も核心に迫っていると思った。 もうひとつ、私が注目したのは次の記事。 自民圧勝の陰で国民・玉木代表が漏らした本音と「すり寄り」への皮肉、野党再編の甘い罠と厳しい現実を斬る 記事には「(国民民主党の)玉木代表は先日、報道番組に出演した際、落選した元議員たちから入党を希望する電話が殺到していることを明かしました」とある。もはや苦笑するしかないが、今回の落選組の中には、国家や国民のためといった高尚な信念から活動をしていたわけではなく、あくまで自分の金儲けのためでしかない低俗な元議員が多数いたことになる。なので選挙のためには意見が異なる政党どうしでも平気で合流するし、合流が失敗すれば、それも簡単に捨て去って別の政党へ移ろうとする。その節操のなさには、呆れ果てるばかり。こういうところを見れば見るほど、議員ひとりひとりにかかる歳費や経費が、本当に国民にとってコスパがいいのか、大いに疑問というしかない。旧立憲の中でも陰謀論を信じる原口元議員は、それはそれで問題だが、少なくとも合流には参加せずスジを通した。 新しい中道改革連合代表が決まって、これから党をどう立て直すか注目されているが、もう無理じゃないか。今は立憲と公明のままになっている参議院議員も、次の選挙ではむしろ不利になるので大惨敗した新党に合流しにくいはず。いづれ中道も再び分かれて党勢はさらに衰える一方になるとかね。社民党やれいわ、共産党みたいに。 本来の建設志向なリベラルであれば、まだ可能性があるが、これらの党って反対と批判しかしない、足を引っ張るだけの反日左翼なんだもん。普通の国民は、その点を完全に見抜いているからこそ支持が広がらない、ということに未だに気づけず、的外れな言い訳に終始する。口ではあたかも国民目線のように装いながらも、実態は自らの金儲けのために動いているだけの有害かつ無駄な存在。左翼メディア共々、消え去って頂くことこそ国民のためにもなる。 自らの思想信条を念仏のように連呼し、敵対する意見には好戦的排他的な姿勢で徹底的に封じ込めようとするくせに自分たちの主張は「表現の自由」という御旗を掲げて、どんな行為ですら正当化。加えてマイノリティの悲しい性で、「オール沖縄」みたいに自分たちをさりげなく大きく見せかけるのも大変お得意だったりする。統一教会への恨みから、なぜか安倍元総理を殺害した、論理の飛躍が尋常ではない凶悪犯・山上を英雄視するに至っては、もはや絶対に関わりたくない極めてヤバイ人たちというしかない。 本来、保守とは古くからの伝統や制度を守る姿勢を指し、一方のリベラルは改革的進歩的で自由な姿勢を指すはずだが、なぜか日本ではこれが逆になっている。つまり日本のリベラルは、政権が何か新しいことをしようとしても、やたら反対して「何もさせない」「何も変えさせない」ことに情熱を燃やす意味不明な人たち。結局、是々非々で判断しているのではなく、反対することが目的化してしまっている。民主的に選ばれた政権がすることすべてが悪と考えるのは、あまりに古臭く、むしろ国民にとってはマイナスに働くことの方が多いと思われる。 このような日本特有なリベラルは、「自分こそ一番エライ」というエリートにありがちな傲慢さにその源流があり、自分よりも劣っているはずの人間が権力を握って、優秀な自分がそれに従わざるを得ないことに「承服できない」「おもしろくない」との感情を、その根っこのところで抱いているがゆえに生み出される姿勢ではないのか。つまりリベラルがいう反権力とは、その多くが正義に基づくものではなく、そんなしょーもない個人的な優越感による妄想に過ぎず、これこそ、なぜリベラルにエリートが多いかの答えでもある。 エリートが導き出した思想だからリベラルが正しいわけではなく、エリートであるがゆえに自分も間違える事実と向き合う勇気すらなく、しかもプライドだけはやたら高いので、当然、自分の間違いを素直に受け入れて軌道修正することもしたくない。そんな自己中心的で後ろ向きな人たちによって構成されたリベラルに対して、より多くの普通の国民が普通の感覚でもって下した判定結果が今回の衆院選。リベラルが国民から支持されていない現実が、実にわかりやすく可視化されたので大変よかったと思う。やっとこさ一歩前進である。 しかしながら彼らは、それでも軌道修正ができないだろう。死ぬまでひたすら「自分はエリートなので絶対に正しい」という妄想から抜け出せないし、その妄想にしがみついて生きることしかできない。とにかく自分の間違いを認めることが死ぬほどイヤな人たちなので、実は議論するのも無意味だったりする。真正面から自分自身を直視して反省すべきところは反省する謙虚な姿勢すらなく、建設的で前向きな議論さえもできないので、マジメに相手をすると多大なエネルギーを要する。まさに歪んだ戦後教育が生み出した更生不能な困ったちゃん。記憶力だけはご立派なので若い頃にお勉強はよくできたけど、残念ながら胆力はほとんどない。やれやれ。 ひょっとすると自分の間違いを認めることは、すなわち自分が優秀ではないことになり、さらには自分の人生までも否定することになる、と思い込んでいるのかもしれないが、私も含めて、すべての人は、結構、間違った判断を普段からしているものであり、それがなぜ表に出てこないかというと、誰も自分の間違いをいちいち公言しないから。たぶんAIに全国民の判断結果を推計させたら、正解率はよくて50%くらいじゃないか。みんな、いっぱい間違っているし、いっぱい失敗しているんだよ。世の中の実態って、そんなもん。なので実害が伴わないレベルの間違いであれば過剰に恥ずる必要もないし恐れる必要もない。判断が間違っていたら「あ、そうか。同じ失敗をしないように次からは気を付けよう」と淡々としていればいいし、「みんなは、自分よりもっと酷いはずだ」と思っておくくらいでも全然いい。何度か間違ったからといって、それがイコール自分が優秀ではない証明になったわけでもない。そう考えれば少しは気が楽になるのではありませんか、優秀なリベラルのみなさん(笑)。
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